STORE

「SUBARU」店主 溝口明子のラトビアの手仕事をめぐる旅 vol.36 食以上の存在、黒パン「Rupjmaize(ルピマイゼ)」

バルト海に面した緑豊かな国、ラトビアに伝わる手仕事の数々。今も昔も変わらない、素朴でやさしい温もりのある伝統的な技、そしてそれらを残し伝えていくベテラン職人、伝統を受け継ぎ新たな形を築く若手作家の作品など。雑貨屋「SUBARU」の店主・溝口明子さんが出会った、ラトビアの手仕事の現在(いま)を現地の写真と共にお届けします。
Text,photo:Akiko Mizoguchi

ラトビア人が旅先に持っていくものの一つが、ライ麦で作るRupjmaize(ルピマイゼ)-黒パンです。日本人にとってのお米、もしかしたらそれ以上の存在かもしれません。

市で並ぶパン。一番右が黒パン。
食卓には必ずスライスされた黒パンが並ぶ。

ラトビアの主食でもある黒パンは、酸味が強くほのかな甘みがあり、黒っぽい外皮はかなり固く、中はしっとり、ずっしりと詰まっています。その重さに比例して腹持ちがいいのが特徴です。ビタミン、炭水化物、食物繊維が豊富な黒パンは栄養価が高く、保存性も優れています。食べ方は人それぞれで、そのまま食べるのももちろんOK、バターや蜂蜜を塗ったり、サンドイッチやカナッペにしたりといろいろです。

【無料メルマガ会員募集】編集部の独自コラム、会員限定のお得な情報をお届けします。

ラトビア文化の象徴的な存在へ

黒パンの伝統的な製法は、代々受け継がれた発酵種を用いてライ麦生地を長時間かけてゆっくり発酵させてから、かまどで焼き上げます。かつては窯へ入れる前に「家族の食が満たされるよう」などの願いの言葉を口にしながら、パンの表面に指で印を付けました。 小麦や大麦よりも耐寒性のあるライ麦の栽培は、8~9世紀頃に始まって食用の穀物となり、11世紀にライ麦パンとしても広まりました。その後、伝統的な黒パン(ルピマイゼ)の製法が確立し、次第にラトビアの文化をも象徴する食べ物となっていきました。

収穫したライ麦の穂。
籠に入ったライ麦の粒。上にのっているのは「Abra(アブラ)」というパン生地をこねて発酵させる桶。一本の木をくりぬいて作られるアブラは代々受け継がれ、手入れを簡素にすることで桶に残った酵母が次の発酵に活用された。
臼も木製。
クルゼメ地方の特産品「Sklandrausis(スクランドラウスィス)」は、ライ麦の生地にニンジンとジャガイモのフィリングが詰まったタルトのような料理。

乾燥したり固くなってしまった黒パンは、おいしい料理へと生まれ変わります。大切な黒パンを無駄にすることなく活用するのも、ラトビアの食文化といえるかもしれません。その一例を紹介します。

Kvass(クヴァス) 黒パンを発酵させてつくるドリンク。子どもも飲める。
Maizes zupa(マイゼス・ズッパ) 煮込んでドロドロにした黒パンで作るスイーツ。 
Ķiploku  grauzdiņi(キプルアク・グラウズディニ) 黒パンのガーリックトースト。最高のおつまみ! 

黒パンは、民謡はもちろんのこと、文学や絵画、映画といった芸術作品のなかでも印象的なモチーフとして登場します。それは、黒パンが単なる食品ではなく、年中行事や冠婚葬祭のなかで伝統的に担ってきた役割によるものかもしれません。

【無料メルマガ会員募集】編集部の独自コラム、会員限定のお得な情報をお届けします。

黒パンの材料となるライ麦は、秋に種がまかれ、冬の間に成長し、夏至の頃に花が咲き、その後に実りの時期を迎えます。伝統的な祝祭の日Jēkabi(イェーカビの日、7月25日頃)は「農民の日」とも呼ばれ、かつては新穀のライ麦で焼いた黒パンを食卓に並べることが習わしでした。この日が近付くと、近隣で競い合うようにしてライ麦を収穫をしたといいます。

夏至の時期の青々としたライ麦畑。
収穫間近の黄金色のライ麦畑。

また、秋分の収穫祭立春祭メテニの仮装行列の帽子、あるいは、伝統的なオーナメント「プズリ」に活用されるなど、黒パンやライ麦はラトビアの伝統行事と密接に関係してきました。加えて、シーズン最後の収穫を終えたあとは、ライ麦の穂で冠を編み、妻へ贈るのも習わしの一つでした。

ライ麦でプズリなどのオーナメントを作る。
ライ麦の穂で編まれた冠。

子どもの洗礼には塩、銀貨のほかにパンも添えられたほか、婚礼の場では祝宴にパンが提供され、花嫁は持参したパンを列席者に配りました。葬儀においては、旅路への携行食として大きなパンがお供えされました。 興味深いことに、パンだけではなく、パンを作る道具にも特別な役目がありました。花嫁は「Abra(アブラ)」に座るよう促されたのですが、これは、発酵種を入れるだけで桶いっぱいにパン生地が膨らむ様子が、子孫繁栄の象徴と考えられたからです。

花嫁が腰をかけたという「アブラ」。

ラトビア語の単語を見ても、パンが特別な存在であるということがわかります。「Maize(マイゼ)」は一般的に広く「パン」という意味をもつほか、食料全般、さらには生活の糧や仕事の意味でも使用されます。また、「Sālsmaize(塩とパン)」は、引っ越し祝いなどに持参する贈り物を意味し、「Ceļamaize(旅のパン)」は文字通りの旅行の携行食と言う意味に加え、新しいことを始める人への餞別をも表しています。

このように、古くからラトビア人にとって食の範疇を超えてあらゆるシーンで欠かすことのできない黒パン。そのなかでも特に伝統的なレシピに忠実にのっとって焼いた黒パンを「Salinātā rudzu rupjmaize(サリナーター・ルヅ・ルピマイゼ)」といい、EUのTSG(Traditional Speciality Guarantee/伝統的特産品保証)にも登録されています。
その昔、おいしい黒パンを焼けることは良い妻、良い母の証と考えられ、すべての家庭で手作りされていました。現在でも自慢の自家製パンを焼く人は多く、今も昔もこれからも、黒パンは国民食であり、ラトビア人の暮らしと文化を象徴する特別な食べ物であり続けることでしょう。

【無料メルマガ会員募集】編集部の独自コラム、会員限定のお得な情報をお届けします。

INFORMATION

Aglonas maizes muzejs (アグルアナ・パン博物館)

住所:Daugavpils iela 7, Aglonas pagasts, Preiļu novads

PROFILE

溝口明子 Akiko Mizoguchi

ラトビア雑貨専門店SUBARU店主、関西日本ラトビア協会常務理事、ラトビア伝統楽器クアクレ奏者
10年弱の公務員生活を経て、2009年に神戸市で開業。仕入れ先のラトビア共和国に魅せられて1年半現地で暮らし、ラトビア語や伝統文化、音楽を学ぶ。現在はラトビア雑貨専門店を営む一方で、ラトビアに関する講演、執筆、コーディネート、クアクレの演奏を行うなど活動は多岐に渡っている。
2017年に駐日ラトビア共和国大使より両国の関係促進への貢献に対する感謝状を拝受。ラトビア公式パンフレット最新版の文章を担当。著書に『持ち帰りたいラトビア』(誠文堂新光社)など。クアクレ奏者として2019年にラトビア大統領閣下の御前演奏を務め、オリンピック関連コンサートやラトビア日本友好100周年記念事業コンサートにも出演。神戸市須磨区にて実店舗を構えている。

http://www.subaru-zakka.com/

【無料メルマガ会員募集】編集部の独自コラム、会員限定のお得な情報をお届けします。

限定情報をいち早くお届けメルマガ会員募集中!