ぬいぐるみ作家 そぼろさんインタビュー vol.1 ぬいぐるみの作風が今にいたるまで
編集部
そぼろさんのお名前の由来を聞いてもよいですか?
そぼろ
「そぼろ」という言葉は、「素朴」とか、「ぼろぼろ」とか、そんな言葉が連想できて、派手さはなくて、崩れていくような儚さのようなものを感じる響きが気に入っています。メジャーよりもマイナー。マジョリティよりもマイノリティ。ちょっと私自身が変わり者というか、世の中に対しても反抗的なものが自分の中に常にあるんですよね。マイノリティ側からの反抗と言いますか…。
編集部
いつ頃からそう思うようになったのですか?
そぼろ
わりと小さいころからだと思います。大学も東京藝術大学だったのですが、ものをつくる時も、生きづらい社会に対する揶揄みたいなところを意識していました。権威的なものから離れたいという気持ちが常に日常生活の中にあるのかな…。ぬいぐるみづくりにも、じつは反映しています。
編集部
ぬいぐるみづくりでは、どのようなところに表現されていると思いますか?
そぼろ
1冊目の書籍『そぼろのおとぼけぬいぐるみ』では、表紙に「ぶきっちょさんでもアジが出る」とキャッチを入れました。ぬいぐるみづくりは型紙を使わなくてもいいし、逆に縫い目が少々ズレたり、ゆがんだり、つっぱったりしたほうが手づくり感が出て楽しいんですよ、手芸が得意でなくても味のあるぬいぐるみができるんですよ、と伝えたかったですね。
編集部
1冊目を出版した時と今では、少しぬいぐるみの作風が変わってきていますね。
そぼろ
ぬいぐるみの作り方の核となるところは変わってはいません。油絵出身なので、いつも絵を作り上げていくように、形の変化を見ながら表情を作り込んでいく。ぬいぐるみのとぼけた感じ、ふざけた感じという部分は以前も今も共通しています。 しいて言えば、1冊目を出版したあと、当時は実家の福岡にいたのですが、夫との出会いを機に東京に拠点を移しました。初めて家族以外の人と一緒に暮らすようになったことで、私自身の中でも心境の変化があったと思います。また夫が持病を抱えていたことで、社会的に弱い立場に置かれてしまっている人、生きづらさを感じている人に寄り添えるような“ものづくり”を、より意識するようになった気がします。もう少し広い視野で見ると、たとえば自分も含めての話ですが、日常の生活に不安を感じている人や、疲れている人とか、そういう人含めてみんなで、共に生きていることを常に意識するようになりました。 そのころから、ぬいぐるみの表情も、今までの反抗的でふざけた感じ、さらに寂しそう、悲しそうな表情がプラスされていったように思います。笑っているけど笑っていない。笑っているけど寂しそう。そんな感じです。
編集部
ぬいぐるみの素材なども変わっていったのですか?
そぼろ
そうですね。素材も変わりました。もっと“ふわふわ”なものをつくろうと思うようになりました。ふわふわはとっつきやすいですよね。ぬいぐるいの位置づけは、他の人形とは違って、やっぱりこのふわふわ感なのかなと。ぬいぐるみの特徴として、癒しという要素には大きな需要があると思います。ただ、それだけでおもしろくないので、反抗する姿勢として、顔の表情、ニュアンスにゆがみを加えたんです。
編集部
ぬいぐるみの魅力であるふわふわ感は活かしつつ、そぼろさんならではの解釈が加わるのですね。そぼろさんの視点ぬいぐるみづくりは、そんなふうに客観的に考えていくことが多いのですか?
そぼろ
常に考えて、疑問を投げかけていくのが好きなんですよね。でも仮説ではあって、確信までは至っていないんです。私の活動は2つに分けられると思っていて、1つめは、ぬいぐるみという布と綿でできた物質をお届けすること。物質とあえて言っているのは、ぬいぐるみづくりは、生命を吹き込むようなお仕事ではなく、私自身もハンドパワーは持っていないということを自覚していること。2つめは、ぬいぐるみを通じて、私自身の世界観を伝えていくことです。