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別府に唯一残る製竹所。116年目を迎えた永井製竹の今。

1908(明治41)年創業、今年で116年目を迎えた永井製竹。2024年4月某日、工場内の湯釜で「油抜き」作業中の、代表取締役の茶重之さんにお話を伺いました。
photo & text: Hinako Ishioka
代表取締役の茶重之さん。

2024年に市制100周年を迎えた別府市。別府の街を古くから見守ってきた別府温泉の総鎮守・八幡朝見神社のすぐ側に、市制よりも長く歴史を刻む製竹所があります。
1908(明治41)年創業、2024年で116年目を迎えた永井製竹です。永井製竹は、伝統的な竹細工産業の街・別府市で唯一、現在も営業している製竹所で、竹職人に卸す白竹づくりに必要な「油抜き」の作業と、器や道具などの竹製品の製造・販売が行われています。

八幡朝見神社の鳥居の先から朝見川を渡ってすぐにあるのが永井製竹。

竹材の製造「油抜き」

油抜きとは、契約した農家が伐(き)り子となって竹林から伐り出した青い竹から、白竹をつくる作業のこと。永井製竹は油抜きでできた白竹を、別府はもちろん、関東、東海、近畿、四国、中国地方の竹職人たちに卸しています。
特に別府竹細工は、油抜きをした白竹を使うことが特徴なので、その油抜きを担う製竹所は、別府竹細工産業になくてはならない存在なのです。

油抜きと伐り子

永井製竹での油抜きについて詳しく説明します。永井製竹には8mと6mの長いトンネルのような湯釜が2つあります。その湯釜に水をはり、苛性(かせい)ソーダを入れてアルカリ性にした水を沸かし、長さ約8mの竹を入れます。15分ほど煮沸して取り出すと、白いバターのようにうっすら浮き上がった油を、熱いうちに手作業で拭き取ります。
竹ひごを編む「編組(へんそ)」の竹細工によく使用されるマダケは、柔らかくて油も軽いので、油抜きは1回、器などの加工品に使用されるモウソウチクは肉厚で硬く、油も重いので、2回行います。
拭き終わると、竹の向きを変え、先ほどと同じ工程を繰り返します。その後、工場の壁に竹を立てかけて、約1カ月ほど天日干しにします。すると青かった竹が白くなり、腐りにくくなって保存がきく白竹が完成します。

伐採した竹を作業場の湯釜で15分湯釜で煮沸する。湯から竹を引き抜いた後、すぐにウエスで表面に浮き出た油を拭き取る。
湯釜が2つ。この日は1つのみ稼働していた。
油抜きした竹を野外で天日干しする。奥の青い竹が手前の竹のように白くなる。

永井製竹では、その油抜きの工程を茶重之さんがひとりで行っています。「鉄は熱いうちに打て、といわれるように、竹は熱いうちに拭け。竹が冷めてしまったら油が固まってしまいます」。茶さんはそう話しながら、灼熱の湯釜から竹を引き出し、湯気のあがる竹をウエスで力強く拭き取っていました。「油抜きは体力が9割、技術が1割」。温暖化が進み、ひと昔前より気温が上昇している昨今、熱い湯釜での作業は生半可な気持ちでできるものではありません。

さらに、油抜きには、雑多な竹林から良質な竹を見極めて伐り出す技術が求められます。竹林で竹を伐採する伐り子は、伐り出すタイミングを習得するには3~4年かかるといわれており、もし見誤って「やわい」といわれる水分量の多い竹を伐り出してしまうと、油抜きしても油がねっとりしたり、加工の際にも皮を剥ぎにくくなるそうです。近年は高齢化や産業の縮小で、伐り子の後継者不足が深刻な問題となっています。
伐り子と製竹所が成す仕事は、体力的にも技術的にも簡単なものではないゆえに、産業にとって重要なこの仕事をどのように継承するかが課題です。

煮沸中は竹が吹き戻されないように、このように大きな石でおさえつける。

竹製品の製造

さらに永井製竹では、さまざまな問屋からの注文に合わせて、コップ、丼、箸たて、刺身皿、七味入れ、うどんすくい、柄杓(ひしゃく)などの竹製品の製造販売も行っています。これらは問屋に卸し、全国の高級料亭などで使用されています。
実は、永井製竹の売上の8割は、この竹製品の製造販売でまかなわれていて、油抜きによる白竹の卸しは全体の2割にすぎません。

会社の売上を支える製造部門では、平均年齢74歳の職人が手作業で商品をつくっています。竹の表面を削る「ろくろ」と呼ばれる特注の機械を扱う職人は、真円ではない自然の竹からコップなどの綺麗な曲線の商品をつくるために、絶妙な力加減を施します。永井製竹の職人には熟練の手仕事技が代々受け継がれているのです。
現在は、竹の空洞を活かした電子レンジでご飯が炊ける飯ごうをはじめ、スピーカーやタンブラーなどの現代に合わせたオリジナル商品を開発。別府市内の土産物店での販売や、ふるさと納税の返礼品にもなっています。

竹の空洞を活かしたスピーカー。

端材の循環

茶さんは「ここで竹製品を製造しているから、油抜きができる」といいます。実は、油抜きと竹製品の製造には、切っても切れない関係があるのです。
「油抜きをする湯釜は、1日数回の油抜きに対応するためお湯を沸騰させた状態を保つことが重要です。そのため湯釜の火を焚き続けるのに、竹製品をつくる時に出る竹の端材を焚き物にします。竹は油分が多く、火力を強めることができます。ですが竹による火力はあまり持続しないので、木を種火として少し入れつつ、何度も竹をくべます。竹の端材が燃料になって、高温のお湯を沸かすことで、ようやく油抜きができるんですよ。化石燃料でお湯を沸かしていては、とてもじゃないけどコストが合いません」。
製竹所内で、端材を再利用した好循環が生まれていることが、経営存続のカギとなっているようです。

湯釜の前には大量に端材がためられている。
パーンと音のなる爆竹。爆竹の由来は、竹を燃やすと音が鳴ることから。

かつて、竹製品の需要が日常的にあった頃は、竹細工産業はそれぞれの作業工程で細かく分業されていて、製竹所内だけではなく、産地内で油抜きの燃料となる竹の端材が循環する仕組みがありました。
「昔は、油抜きだけをする製竹所も存在していたみたいです。かご職人などの他業者が作業で出た竹の端材をトラックに積み、製竹屋まで運んでくる光景がよく見られたそうですよ」。
しかし現在は、海外で生産された安価なプラスチック製品が竹製品に取って代わり、竹でできたものを日常で使用することはほとんどなくなりました。近年は別府市に2軒あった製竹所が、次々に廃業。
「製竹所で廃業しているところは、高齢化もありますが、竹の焚き物が循環しなくなり、お湯が沸かせなくなったことも要因のひとつです」。
別府の地域産業の中で一度でき上がっていた端材が循環するシステムは、現在はほとんどなくなってしまったようです。製竹所が減ってしまった近年は、竹材料の調達が難しくなった職人や作家が、竹の伐採から油抜きまで自ら行う事例が増えています。

大きな端材には切り込みを入れる。そうしないと爆発する危険がある。

そもそも永井製竹で行われている油抜きは、化学物質の苛性ソーダを使用するもの。これは高度経済成長にあわせた効率的な大量生産を支えるために始められた方法でした。 「それまでは、石灰を燃やした熱で竹を炙って油抜きをしていたんです。現在も、言葉にはその名残があって、油抜きをすることを“あぶる”といいます。煮沸するよりは手間も時間もかかりますが、その分、綺麗な艶が出ます。茶筅(ちゃせん)などの高級品の材料に油抜きをする際は、今でもこの方法がとられていますね」。

後継者は?

茶さんに後継者問題について伺うと、意外にも現実的な答えが返ってきました。
「先日、油抜きの仕事をしたい人が来ましたが断りました。これだけ竹製品の需要が落ちている中で、製竹所を本業にするのはすすめられません。これからは、職人をはじめとした他に本業がある人が、スケジュールを組んでシフトをまわしていくような体制がいいと思っているんです」。
実際に、現在すでに複数人の竹職人が、週に1度のペースで永井製竹を訪れているそう。
「油抜きの仕事は握力がないと拭ききれなかったり、熱々の湯釜内で竹が割れると熱湯が吹きあがってきて服の上からでも皮膚が焼けるほどの火傷になるので、瞬時に逃げないといけなかったり、体力や瞬発力が必要な作業なんです」。
そのような仕事だからこそ、誰でもできるわけではないことも事実。竹産業の未来を担う有志が集まり、永井製竹に蓄積されている技術を、“協業で”継承していく形を茶さんは見据えています。

茶さんの経歴とこれから

茶さんは、東京で長く金融関係の仕事をしていましたが、50歳で大工に転身。「大工さんがさしがねを使いこなす様が気になって」と、つくる仕事に就きました。さらに日本の伝統工芸に関わるものづくりを始めてみたくなり、自宅で作業ができて、材料費が安いという条件で竹細工と出会いました。そして、東京で別府の組合が運営する竹細工教室に7年間通ったそうです。
そこで、別府で竹の伐採から油抜きを担う業者の高齢化が進んでいることを耳にします。そして、自分が伐り子の仕事をしてみようと別府に転居。伐り子の仕事に就くことは難しく、今から6年前に、永井製竹に入社しました。「働き始めて1年経った時、会社の経営難で、たまたま社長になったんです」と、自身も驚きの社長就任だったそうです。

湯釜で竹をあぶり続ける。

茶さんによると、近年は伝統的な手仕事産業がほとんどなくなってしまったヨーロッパの人たちが、竹細工産業に関心をもって別府まで来てくれるケースも出てきているといいます。
「文化的関心度の高い国内外の人に知ってもらい、竹細工というコンテンツを産業化するのもひとつの手だと思います。それでも、知ってもらうためには、そこで“何をしているか”が大事です」。
茶さんは、別府駅前にある手湯のモニュメントを、永井製竹が材料費と塗装代で協賛し、若手の竹工芸家とタッグを組んで、竹で装飾する企画を立案。市と駅に企画書を提出しました。この取り組みは2022年に1回目が実現され、2023年に2回目が行われました。他にも、県の文化事業に竹が使用される場合は、資材提供などで積極的に協力しています。

第2回目となる2023年度は竹藝家のこじまちからさんによる作品。

茶さんにお話を伺っていると、地域の手仕事産業を未来に繋げていくためには、古き良き体制に戻そうとしたり、商品をたくさん生産して販売したりする働きだけではない、今の時代に合った方法を自分たちで探っていくことが必要なのだろうと気づかされました。
茶さんのように、地域のものづくりや文化に関心を持った「外の人」が、自分の感覚を信じて現場に飛び込み、毎日の仕事を自分事で進めていくことも、伝統技術や文化を未来に繋げていくひとつの大きなきっかけになるのでしょう。そして別府には、「外の人」を受け入れる寛容な環境があるんだなとつくづく実感します。

屋根より高い竹。
湯釜に通じる長い煙突と、職人の姿。

PROFILE

茶重之 Cha Shigeyuki

2017年に永井製竹入社。2018年に代表取締役社長就任。別府に116年続く永井製竹の技術にて竹本来の素材を活かした製品の製造と、自らが湯釜に立ち、日々油抜きを行っている。SDGsの取り組みにも積極的だ。

INFORMATION

永井製竹

明治41年創業の竹材、加工品メーカー。別府市内に唯一残る製竹所として、別府、全国の職人に大分の竹材を卸している。

住所:〒874-0930 大分県別府市光町3-15
電話番号:0977-24-0417
HP:https://www.nagaiseichiku.com/

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