伝統と文化を繋ぐ 南郷刺し子会のこれから(前編)
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南郷刺し子会の刺し子絆纏
2009年11月、この地で二拠点生活を始めた原良江(はらよしえ)さんが、地域の文化祭で一着の刺し子絆纏を展示します。この作品は、民俗館で見かけた刺し子絆纏の迫力と美しさに衝撃を受け、「自分が刺し子絆纏を作って伝統と技術を伝えていかなければ」と制作を開始したもの。展示された原さんの刺し子絆纏は、会場を訪れた多くの人を魅了しました。「南郷刺し子会」現会長の馬場純子さんもその一人。原さんの作品に感銘を受け、刺し子絆纏の歴史や当時の人の想いを聞く中で、南郷刺し子という伝統を残していく必要性を強く感じるようになります。
そして、文化祭が終了した2009年11月から2010年11月の文化祭前日までの1年間、原さんと共に馬場さんをはじめとした地域の婦人会メンバーが1人1着の絆纏を作ることに。刺し子および縫製の工程ともに、初めての作業に戸惑いながら皆で懸命に縫い進め、1年間で10着の刺し子絆纏を完成させました。
そして2010年11月3日、南郷地域文化祭にて10着の刺し子絆纏を展示しました。原良江さんが初めて展示を行ってから約1年後のことでした。当時の展示の様子と来場者のことを、馬場さんはよく覚えています。
「作品を見に来た一人のおばあさんが、絆纏を見ながら涙を流して話しかけてくれたんです。よくやってくれたなあ。誰ももう作らないと思っていたのに、よくこれを作ってくれたなと。それはもうとても喜んでくださって、その場から離れようとしませんでした。ご自身では刺せないので、誰か作ってくれる人はいないかとずっと考えていたようです」
おばあさんはその場から離れず、そのうち会場をぐるっと一回りしてきましたが、また戻ってきて絆纏をずっと見ていたといいます。長い時間作品を見つめ感激しているおばあさんの姿は、今でも忘れられない光景として馬場さんの心に焼き付いています。右も左もわからない中、1年かけて皆で作り上げた刺し子絆纏が、かつての南郷刺し子を知る人の心に届いたことを実感し、あらためて南郷刺し子という文化を後世に伝え残していかなければいけないと決意を新たにします。こうして地元有志の方々によって「南郷刺し子会」が結成されました。現在は、南会津町だけでなく、近隣から県外まで幅広いエリアに会員が在籍しています。
地域に根差した刺し子文化
豪雪地帯である南会津地方の冬の生活はとても過酷です。最低気温がマイナス10度を下回ることも多く寒さをしのぐのが大変で、曲り家で馬や牛と共に冬を越す必要があるほど、人にも動物たちにとっても大変な地域です。
そんな厳しい環境下で生まれた手仕事の一つが南郷刺し子。一着の絆纏を完成させるまでに2~3年ほどかかる大変な作業ですが、大変だからこそ着る人のことを想い浮かべながら、刺し手が自ら一針一針、ていねいに刺し進めていたのではないか、と馬場さんはいいます。
「当時の人々は、すべてが手作業なので、家の中でもやらなければいけないことがいっぱいありました。そんな中でも大変な作業を経て絆纏が作られていました。これだけの立派な作品は、周囲への思いやりや心遣いが形になり成立するもの。誰かにやれと言われてできるものではないと思うんです。南郷刺し子の模様にデザイン性や美的感覚、遊び心、楽しさが感じられるのは、厳しい自然環境の中でも充実した生活を送るための知恵と工夫を楽しさで実現していくような、当時の人の心の豊かさが表れているのではないかと想像してしまうんです」
南郷刺し子会の活動
2006年に旧田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併してできた南会津町は、それぞれの役場があった場所が支所となり地域のコミュニティ形成をしています。南郷刺し子会の展示は、毎回各支所に支えられながら、地域にお住いの多くの方々の協力を得て実現しています。
今も昔も家族や地域の人々と共に生きる南郷刺し子、その記憶と想いをこれからも繋いでいくべく、南郷刺し子会は新しい絆纏を制作・発表するほか、南郷地域在住の1歳を迎えた子どもがいて希望される家庭に、赤ちゃん用ベストのプレゼントをする活動をしています。現在までにプレゼントしたベストの数は40着(2023年8月現在)。子どもたちの健康と幸せを願い、一針一針縫い進める工程は先人たちが紡いできた南郷刺し子の想いと願いに重なる部分があります。
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