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原山織物工場から「はらっぱ」へ。会津木綿の伝統を未来へ繋ぐ。

株式会社はらっぱは、『HARAPPA』のブランド名を掲げる会津木綿の織元です。8年前、創業約120年の原山織物工場から社名を変えて新たな会社として創業。原山織物工場が積み上げてきた、会津木綿の織元としての長い歴史を引き継ぐとともに、次世代に人気の織元に転身を遂げました。その変化の裏側と、これからについて伺いました。
photo: Takashi Sakamoto, text: Hinako Ishioka, special thanks: YAMMA

なぜ原山織物工場から「はらっぱ」になったのか

会津の夏は思ったより爽やかで、日差しもなんだか心地いい。はらっぱの織物工場に到着すると、敷地内を颯爽と走る1人の男性から「どうぞ!」の声が。爽やかな夏がよく似合うこの方こそ、今回お話を伺った、専務執行役員の原山修一さんでした。

専務執行役員の原山修一さん。

前職は東京でテレビ関係の仕事に就いていた、という原山さんが会津に戻ってきたのは、2014年ごろ。きっかけは実家の原山織物工場の閉業の危機でした。

「原山織物工場は、明治32年創業の会津木綿の織元会社です。原山織物工場は、会津木綿の織元のなかでも、染めから織りまでを一貫して行うことが特徴の織元でした。戦時中、武器生産の資源不足を補うための金属回収令によって、鉄製の織機が国に回収されてしまっても、染めの手仕事を強みとして、営みを繋いできた歴史があります。そんな原山織物工場が、平成26年(2014年)に、当時の社長の急逝により115年続いた会社経営の存続が危ぶまれる状況になりました」。

そこに現れたのが、ヤンマ産業の山崎ナナさんでした。山崎さんは、会津木綿をメイン素材として使用するアパレルブランド『YAMMA』を展開するデザイナーです。YAMMAは麻や木綿などの天然素材を使用して“長く使える製品をつくる”ことにこだわりのあるブランドで、2010年から、原山織物工場の会津木綿を使って自社製品をつくっていました。

山崎さんと会津木綿の出会いはたまたまだったとのこと。知人で、会津のリトルプレスorahoを発行している会津若松出身の山本さんのおすすめでした。会津木綿が古くから野良着(仕事着)として着られていたように、日常で何度も身に着けられる丈夫さと、その素朴な風合いが、「長く使っていただきたい」と考えるYAMMAのコンセプトと一致。山崎さんは、会津木綿のなかでも「染めから織りまで」の手間にほれ込み、原山織物工場の会津木綿とともに歩んでいました。その矢先、大切な織元の閉業の危機を耳にして、会津へ向かったのです。

事務所にかけられた、原山織物工場時代の暖簾。かねろくは商標。

「なんとか続けられないでしょうか」。原山織物工場を訪れた山崎さんは、原山家に直談判に踏み切ったそうです。山崎さんの熱い想いが直接、親族に届けられ、原山家と山崎さんは話し合いを重ねることになります。それから2カ月後、なんと先代社長の従兄弟にあたる小野太成さんと、山崎さんのふたりが共同代表となって原山織物工場を引き継ぐ形で、新しい会社を創業することになったのです。それをきっかけに、原山織物工場は、「株式会社はらっぱ」に社名を変え、HARAPPAのブランド名で新しい会津木綿の織元として再スタートを切りました。閉業の危機から、現在のHARAPPAへの道が繋がった瞬間でした。

原山さんは、「創業のタイミングで戻って来ると決めて、仕事を辞める段取りをして、会津に帰ってきました。山崎の直談判がなかったら、原山織物工場は閉業していたと思います」と続けます。現在原山さんは、建築会社を本業とする代表の小野さんと、アメリカ・ニューヨーク在住の山崎さんとともに協力しながら、日々織元の現場に立っています。

HARAPPAになって変化したこと

会津木綿といえば、ポーチやハンカチなどの土産物中心だったのが、HARAPPAになってからは、身に着けるものが多くなったそうです。現在は、生産量の50~60%が衣類に使われるようになり、新しいアパレルブランドとの取引も増えています。

時には、ニューヨークに住む山崎さんが、現地でHARAPPAの展示会に立ち会い、海外販路の開拓を進めたり、国内のブランドが会津木綿を使用して洋服をつくり、海外展開する例もあるそうです。「海外の反応も良く、リピーターも多いです。ちなみに、海外で会津木綿はストールやバッグ、キッチンウェアとして使われることが多いそうですよ」。HARAPPAは、会津木綿を世界に広めつつあるようです。

そのような変化の裏側には、デザイン面の工夫がありました。現在HARAPPAでは、縞模様と無地、合わせて約120種類の木綿生地を生産しています。そのうち半分は、原山織物工場時代から引き継いだ、伝統的な柄で、もう半分は、HARRAPAに切り替わってから山崎さんを中心に新しくデザインされたもの。

「会津木綿のアイデンティティである“縞模様”をつくり続けながら、縞は縞でも、縞の幅を広くするなど、今の人が身に着けやすい柄をデザインしています」。

会津木綿の伝統柄からは、時代を経ても魅力を失わないタイムレスな魅力を感じられますが、HARAPPA以降の新しいデザイン展開は、明るい色が組み合わされ、今の人がより身に着けたくなるような“楽しさ”がプラスされています。HARAPPAの新しさは、会津木綿が次の世代の目に触れる機会を増やしました。

原山らしい縞模様とは

HARAPPAでは、新しいデザインを追い求めるだけでなく、昔の織り見本台帳を見ながら伝統柄を再現することもあります。先代のお母さんがまとめたという台帳を見せていただくと、手作業で1枚1枚、布を張り付けていった様子がわかります。

縞を見れば、どの織元のものかわかるのか伺ってみると、「ある程度、昔の縞だったらわかります。大分前から、会津木綿には組合がないので、それぞれの機屋(はたや)でそれぞれの色を出して、自由に柄をつくれるんです」との答えが。昔から、縛りのないデザインで自由に試しながら織っていたそうで、原山織物工場時代は、先代のお母さんが縞模様をデザインしていたそうです。

伝統的な原山らしい柄といえば、「棒縞」、「はで縞」、「かつお縞」、「てり縞」、「大名縞」、「流れ縞」などが挙げられます。これらの柄は、現在も定番柄として生産され、多くの人に愛されています。

原山時代から続く定番柄に、新しい柄を合わせることで、現代の生活に合った布をつくっているのも、伝統と新しさの両輪で前進し続けるHARAPPAの特徴といえるでしょう。

1つの縞を織るのには、整経だけで、なんと3日間かかるそうです。糸を機械にかけて織り始めるまでに、経(たて)糸と、緯(よこ)糸で分業して準備が進められます。経糸は900本の糸を設計図通りに順番に張る作業、緯糸は織機にセットするための木簡に糸を巻く作業などが職人の手によって行われます。1つ1つの縞模様のアイデアと、それを実現する職人の手仕事の背景を知るだけで、普段は見過ごしてしまうような布1枚にも、新たな見方が生まれます。

整経の工程。(整経…経糸を順番通り並べ巻き取る作業のこと)

100年以上前の織機を扱う難しさ

織機について尋ねると、「だいたい100年くらい前に製造された織機を使っています」と原山さん。冒頭にも出ましたが、戦時中、鉄製の織機は一度は国に回収されてしまいました。戦後に買い戻し、さらに使用しているため、厳密には何年前の機械かはわからないそうです。「ちょっとずつバランスが悪くなることで、少しずつ布地に影響が出てきます。いろいろ調整しながら織っているのが実際のところです」。

産業革命以降、機械によって作業工程が効率化され、大量生産、大量消費の20世紀的な生活が確立されていきました。それ以降、機械と人間は切っても切れない関係となり、現在では自動制御があたりまえの時代となりました。そうは言っても、会津木綿の織機は、毎日人の手によって動かされています。いつも隣にいる職人だからこそ気づく不調があるようです。

原山織物工場からHARAPPAになった時、職人は5人、そのまま残りました。そこから数年間は、新しいスタッフが職人の手仕事を直接学ぶ期間がありましたが、4年前に、ベテランの織機職人が体力面の厳しさから退職することに。残されたスタッフで100年ものの織機を扱うのは至難の業です。原山さんは「今はいろいろ試行錯誤して、いじりながら、直しながらやっています。」と続けます。

現在工場には、原山織物工場時代から引き継いだ織機が26台と、先日、静岡県浜松の機屋が廃業し、そこから譲り受けた機械が4台あります。「浜松の4台のうち、とりあえず1台を動かしてみています。どんなことができるのか、どんな縞ができるのか、今は見本をつくるために動かしています。でもなかなか本調子じゃないので、調整しながらやっています」と原山さん。浜松の機械はより複雑な織り方もできるそうで、今後はチェック柄などにも挑戦していきたいと話してくれました。職人の伴走者としての織機。毎日手作業で機械を調整しながらつくられる会津木綿には、自動制御では生まれない、人の手が生む味があるはずです。

HARAPPAが切り開く未来

株式会社はらっぱには、現在11人のスタッフが在籍し、なかでも、20代~30代が5名と若いスタッフが約半数を占めています。世界的パンデミックやAIの発展により、社会が大きく変化しているなかで、HARAPPAには、明治から続く伝統と、会津で生活を続けてきた人、そして若者が混ざり合う環境があります。それだけでなく、もともとは取引先だった外部の人がいまや経営者になっていたり、異業種で経験を積んだ人が会津に帰って来たり、それぞれの世代や経験からさまざまな角度の視点を交差して事業を進めています。

さらに、パンデミックの影響は意外なところにもあったようで、「体感的なところでいうと、生地の販売数はコロナ以降、伸びています。コロナの時期、土産物の商品はほぼ動かなかったけど、生地は動きました。マスクやバッグをつくってみる人が、めちゃくちゃ増えた」と原山さんは語ります。特に地元の人が生地を買ってくれる機会が増えたそう。ものづくりが身近にある会津の地域性や、コロナ以降の人々のライフスタイルと意識の変化もHARAPPAの背中を押しています。

HARAPPAの前身である原山織物工場は、「染めから織りまで」を一貫して行う織元でした。「先代までは、藍染と化染の2本立てで染めて織るのが特徴でした。しかし先代の社長が藍染を担当していたので、藍染の技術は一度途絶えてしまっています。HARAPPAになった時、染め場の老朽化が激しく、補強工事をしました。地面を平らにする必要があったので、藍窯も埋めてしまいました。ただ、染め場の一角だけは土間のまま残しているので、そこに藍窯をまたつくる予定です」と語る原山さん。“原山らしい”藍染と化染の2本立ての再開を目指しています。

さらに、こう続けます。「今後、“会津木綿はこういうものだ”というのをさらに特徴づけていきたい。現在は、海外の綿を輸入して使用していますが、これからは綿花の栽培にも取り組んでいきたいと考えています。藍も地元で育てたものを使用するなど、メイドイン会津を実現していきたいですね」。“種から育て、染め、織りまで”という、果てしない夢の計画を具体的に考えているHARAPPAの取り組み。もうすでに、工場の敷地内で綿花の栽培を試しに始めていました。

「やりたいことはいっぱいあるんです。何から手をつけたらいいかわからないくらい」と原山さんは少し照れくさそうに言います。HARAPPAが見据える眼差しは、会津木綿を次世代に、そして世界に広めていきます。

工場の敷地内の畑で育てている綿花。

INFORMATION

株式会社はらっぱ

明治32年創業の原山織物工場の事業を継承する形で2015年3月に小野太成と山崎ナナによって設立。HARAPPAのブランド名で会津木綿の事業を展開している。工場には完全予約制の直売所も併設。

住所: 福島県会津若松市日吉町4-25
Tel: 0242-36-7903
HP: https://www.harappaaizu.com/index.html

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