「SUBARU」店主 溝口明子のラトビアの手仕事をめぐる旅 vol.3 ラトビアの手仕事の歴史(前編)
ラトビアの歴史と変遷
色鮮やかな手編みミトンや頑丈で美しい柳編みのバスケットなど、ラトビアの手工芸品は日本でも年々注目度が高まっています。優美でありながら実用性と耐久性を兼ね備えた品々は日常の暮らしを豊かにしてくれるのですが、これらの手仕事はすべてラトビアの歴史や社会の変遷と歩調を合わせて発展してきました。
のちにラトビア人に枝分かれするバルト語派の民族が現在のラトビアの国土で定住を始めたのは、紀元前2000年頃と言われています。
耕作や牧畜を行い、東西南北の交差点となる地勢の良さから交易も盛んになったこの地に転機が訪れたのが13世紀初頭でした。ドイツ人司教が北方十字軍とともに到来してリガの建都を開始し、同時にキリスト教化を推し進めていったのです。文化生活水準は周辺国と同じレベルであったにも関わらず、土着の自然信仰を信じるラトビア人の文化やライフスタイルを理由に、「ラトビアは野蛮で未開の地である」として征服を正当化し、ドイツ人領主とラトビア人小作農という構造を作り上げていきました。
こうして非支配者階級として抑圧されることになったラトビア人は、自分達だけの手で生活必需品を作りだす必要に迫られましたが、幸いにして自然豊かなラトビアでは草木や亜麻、粘土などがふんだんにあり、材料に困ることはありませんでした。
現在のラトビア人に通じるような、しなやかで強い精神力と洗練された美意識を持って次々と生み出された日用品は、日々の暮らしが少しでも明るいものになるようにと装飾や色彩に磨きがかかるようになり、時間をかけて分野別に違った発展を遂げていきました。
アイデンティティの目覚め
16世紀に入るとドイツの勢力が弱体化しましたが、今度はポーランド・リトアニアやスウェーデンなどの周辺国の覇権争いの場になり、挙句の果てには全域がロシア帝国に領有されました。
19世紀に入ると近代化に舵を切ったロシア皇帝の政策により、ドイツ人が築いた封建制度は終焉を迎えます。そして資本主義経済と都市化が加速していくようになると、ラトビア人の中産階級が台頭しはじめ、エリート層によるラトビア民族啓蒙運動が盛んになりました。その結果、人々は民謡や伝統工芸などを通して「ラトビア人」というアイデンティティに目覚め、その固有の文化に確固たる誇りを持つようになったのです。
その後もソビエト連邦やナチスドイツに蹂躙されたラトビアですが、どんなに悲惨な状況下でもラトビア人としてのプライドを保ち、歌うことで民族としての連帯感を保持し続け、手仕事の技を守り抜きました。
現在では伝統工芸は「次世代に残すべきラトビア固有の財産」と捉えられて、商業主義に委ねることで職人技が途絶えてしまわぬように財政的、制度的に保護を受け、その技術は更に飛躍を遂げています。
また昨今では、伝統工芸を現代風に昇華させた新しい作品を生み出すアーティストも数多く誕生しています。
このようにして、自然豊かな大地の存在と皮肉にも支配者階級が登場したことで進歩を遂げたラトビアの伝統工芸。次回は時代背景が投影されている代表的な手仕事を紹介します。
PROFILE
溝口明子 Akiko Mizoguchi
ラトビア雑貨専門店SUBARU店主、関西日本ラトビア協会常務理事、ラトビア伝統楽器クアクレ奏者
10年弱の公務員生活を経て、2009年に神戸市で開業。仕入れ先のラトビア共和国に魅せられて1年半現地で暮らし、ラトビア語や伝統文化、音楽を学ぶ。現在はラトビア雑貨専門店を営む一方で、ラトビアに関する講演、執筆、コーディネート、クアクレの演奏を行うなど活動は多岐に渡っている。
2017年に駐日ラトビア共和国大使より両国の関係促進への貢献に対する感謝状を拝受。ラトビア公式パンフレット最新版の文章を担当。著書に『持ち帰りたいラトビア』(誠文堂新光社)など。クアクレ奏者として2019年にラトビア大統領閣下の御前演奏を務め、オリンピック関連コンサートやラトビア日本友好100周年記念事業コンサートにも出演。神戸市須磨区にて実店舗を構えている。