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「SUBARU」店主 溝口明子のラトビアの手仕事をめぐる旅 vol.26 職人さん探訪記その7 ニッター兼コーディネーターのダイナさん

バルト海に面した緑豊かな国、ラトビアに伝わる手仕事の数々。今も昔も変わらない、素朴でやさしい温もりのある伝統的な技、そしてそれらを残し伝えていくベテラン職人、伝統を受け継ぎ新たな形を築く若手作家の作品など。雑貨屋「SUBARU」の店主・溝口明子さんが出会った、ラトビアの手仕事の現在(いま)を現地の写真と共にお届けします。
Text,photo:Akiko Mizoguchi

今回紹介するダイナ・アヴアタさんはニッターさんでありながら、職人さんたちが丹精込めて制作した作品を国内外に紹介する架け橋のような仕事をしています。

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私が初めてダイナさんに会ったのは2011年3月、まだ寒さが厳しい日のことでした。
訪れたのはラトビアの古都Cēsis(ツェースィス)の中心地。そこにはダイナさんが当時経営していた手工芸品のお土産物屋さんがありました。残念ながら店内の写真が残っていないのですが、二階建てのお店の中は、テーブルや棚、壁や天井にいたるまでぎゅうぎゅうにラトビアのハンドクラフトがディスプレイされていたことを鮮明に覚えています。

あとで聞いたところによると、ダイナさんは2000年に教育学の修士号を取得、卒業後すぐに声をかけられたこのお店で働き始めたそうです。2004年には経営自体を受け継ぎ、150近くもの工房や職人さんと取り引きしていたというから驚きです。その後、2008年のリーマンショックから始まった経済危機を回避しようと職人さんたちと話し合った結果、ラトビア国内だけではなく、国外に目を向けて、エストニア、ドイツ、ノルウェーの市場も開拓していったそうです。

ツェースィスにあったダイナさんのお店。

ダイナさんに再会したのは2013年5月のこと。リガ旧市街を歩いていたときに突然声をかけてきたのがダイナさんでした。
聞くところによると、私が訪問した後にツェースィスのお店は閉店、そのタイミングでオファーを受けた旧市街ど真ん中にあったエグレ・クラフトマーケットへの出店を決めたそうです。このブースでは編み物を中心とした厳選した職人さんのアイテムだけを並べていました。と同時に、ダイナさん自身も生業としてのニッター活動を本格的に始めたそうです。 小学生の頃、放課後に手芸クラブに参加して編み物をしていたというダイナさんは、ミトン、靴下、帽子といった小物からセーターやジャケットといった大きなものまで編めるそうですが、ドイツの手芸雑誌「Burda」の学校に通って、編み機の使い方もマスターしました。旧市街のブースでは、熟練のニッターさんが編んだ伝統的なミトンと合わせやすいデザインの帽子やマフラーを編み機で制作して一緒に販売していました。

リガ旧市街の中心地にあったエグレ・クラフトマーケット。コロナ禍でなくなっていた。
エグレにあったダイナさんのブース。スタッフさんが接客をしていた。

その後、地政学上の環境の変化を受けてリガ旧市街での出店をやめ、ダイナさんはツェースィスへ帰りました。活動拠点をツェースィスに戻し、ラトビア民族野外博物館で開催されている民芸市の選考会に合格し、ツェースィスで暮らす数名の職人さんの編み物などとともに自作の編み物をもって民芸市へ参加を始めたそうです。さらには、リネンの衣服やテーブルクロス、木工品、琥珀のアクセサリー、陶器、バスケットなども職人さんたちから預かって、エストニア、ドイツ、ノルウェーの見本市やフェスティバルにも再び出展しはじめたそうです。

ツェースィスのダイナさんのアトリエ。熟練のニッターさんが編んだミトンとダイナさんが機械編みで作った作品が飾られていた。
靴下、マフラー、帽子といったニットアイテムのほかに、伝統的な織物のリボンや腰紐も。
ダイナさん愛用の編み機。
アトリエでごちそうになったダイナさん特製のPīrāgi(ピーラーギ/ラトビアの伝統的な惣菜パン)と自家製の蜂蜜とハーブティー。

このようにしてダイナさんは、ニッターとして独自にデザインした作品を売るだけではなく、25年近くもラトビアの職人さんと手工芸品の販売網の拡大に携わり、国内外で多くの経験を積んできました。職人さんの工房を訪れ、作業のハウツーを学び、手工芸品の品質とそれがラトビア製かどうかを見分ける能力を得ました。このようなダイナさんの姿勢は、職人さんたちから寄せられる厚い信頼に現れています。そんな中でも最も親密な友情関係を築いていたのが、vol.13で紹介したバスケット職人のウルディスさんだったそうです。

「SUBARU」店主 溝口明子のラトビアの手仕事をめぐる旅 vol.13 職人さん探訪記その5 バスケット職人ウルディスさん

ここ数年間はツェースィス役場から、クリスマスマーケットなど年に3回開催されるマーケットの運営の統括を任され、参加する職人さんも年を追うごとに増えたそうです。これらのマーケットを通じて、職人さんだけではなく農家などの生産者さんとの繫がりも増えていったといいます。
こうしてニッター業とコーディネート業を両輪にして研鑽を重ねていったダイナさんは、ツェースィスにとって今やなくてはならない存在です。実際に、地元の人はダイナさんとその活動のことをよく知っているので、「○○さんのミトンはどこで買えるの?」などと、具体的な質問を受けるのだそうです。
そんなダイナさん、最近は午前中にアトリエで編み物をして、午後から同じ建物にある文房具店で働いています。夕方と週末には、養蜂用の蜜蜂と庭仕事が待つサマーハウスで過ごしています。収穫高によっては蜂蜜、リンゴやニンニクの販売も予定しているそう!
ツェースィスにとってかけがえのない存在であるダイナさんは、私にとっても折に触れてラトビアの職人さんとの縁を繋いでくれる恩人のような人です。また、話をしていると、大切な職人さんの作品を扱う同じ立場の先駆者として、さまざまな金言を得ることもあります。どんな時も遠くラトビアから私のことを信頼して見守ってくれている温かい存在なのです。

今年の民芸市にもニッターさんのミトンとともに出店していたダイナさん。
ダイナさんが制作したミトン柄のニット帽とマフラー。
ニットジャケットもダイナさんの作品。

PROFILE

溝口明子 Akiko Mizoguchi

ラトビア雑貨専門店SUBARU店主、関西日本ラトビア協会常務理事、ラトビア伝統楽器クアクレ奏者
10年弱の公務員生活を経て、2009年に神戸市で開業。仕入れ先のラトビア共和国に魅せられて1年半現地で暮らし、ラトビア語や伝統文化、音楽を学ぶ。現在はラトビア雑貨専門店を営む一方で、ラトビアに関する講演、執筆、コーディネート、クアクレの演奏を行うなど活動は多岐に渡っている。
2017年に駐日ラトビア共和国大使より両国の関係促進への貢献に対する感謝状を拝受。ラトビア公式パンフレット最新版の文章を担当。著書に『持ち帰りたいラトビア』(誠文堂新光社)など。クアクレ奏者として2019年にラトビア大統領閣下の御前演奏を務め、オリンピック関連コンサートやラトビア日本友好100周年記念事業コンサートにも出演。神戸市須磨区にて実店舗を構えている。

http://www.subaru-zakka.com/

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