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林ことみの手仕事語り vol.2 エストニアの手仕事(後編)

林ことみさんがエストニアを訪問することになったきっかけは、2001年の北欧ニットシンポジウムで二人のアヌ―との出会いでした。初めてのエストニア訪問は、翌年の2002年。現在までに、すでに訪問は10回を超えているそう。今年もエストニアに足を運んだらしい、と聞きつけた編集部は、前編に引き続きエストニアの手仕事、特にニットとクロッシェについて話を伺いました。
text,photo: Kotomi Hayashi

>>林ことみの手仕事語り エストニアの手仕事(前編)

ムフ島で特徴的な配色「ムフピンク」と「ムフオレンジ」。

エストニアのニットとクロシェ 各地に残る伝統的なパターンやテクニック

エストニアのニットは、各地に特徴的なパターンやテクニックが残っています。
特に有名な地域としては、繊細なニットレースで有名な「ハプサル」、キヒノヴィッツ(※)と呼ばれる編み方の手袋が残っている「キヒノ島」、カラフルな色使いだけではなく、その場所にしかないテクニックで編まれた靴下が見られる「ムフ島」、イコン(崇拝の対象となる聖像)にかける聖布の縁に付ける、かぎ針編みの縁編みが残っている「セト地方」、白い布地にトラベリングステッチを施すセーターやハーフミトンが特徴的な「ルフヌ島」などが挙げられます。技法では「インレイ」というステッチのような編み方が、各地に見られます。
※日本語表記の地図には「キフヌ」とあるのですが、私はそのことを知らずに、自分の耳には「キヒノ」と聞こえていたので、今までも書籍などではキヒノと表記してきました。今回の記事でも、この表記を使っています。

エストニアの各地に広まる「インレイ」という編み方。土台となる編み地に、糸を表に渡しながら編んでいくのが特徴。

新しいパターンが次々に生まれているハプサルのレース

ハプサルレースは、「ニュップ」という玉編みが美しさの決め手。

ハプサルは帝政ロシア時代からの海辺の保養地。作曲家のチャイコフスキーも訪れていて「ハプサルの思い出」というピアノ曲を残しています。この地で生まれたのが「ハプサルレース」。このレースは細い糸で編まれたショールで、ニュップという玉編みが浮かび上がったとてもエレガントな編み地です。伝統的な模様がたくさんあり、地元ではパターンの開発をしているなど、ハプサルレースは現在も発展し続けているレースといえます。素材は、以前は白か黒の細いウール糸が主流でしたが、最近はリネンの糸やブルーやピンクなどの色も使われています。

現地の工房で、ハプサルレースを仕上げている様子を見せてもらった。枠にパンパンに張って形を整えていたのが印象的。

キヒノ島はセーターと手袋が有名

前編、スカートの話でも紹介したキヒノ島は、白と紺の編み込み模様が特徴的なセーター(男性用)と手袋が有名です。手袋については、他の地域にも白と紺の色の組み合わせのものはあるのですが、キヒノ島では必ずカフスに赤の編み込み模様が入ります。それは手首が体の中でも大切な場所で、赤を入れることで邪悪なものを排除する意味があるため、手首を守る意味で赤を入れなくていけないのだそうです。そして、この編み方で欠かせないのが、2色のつくり目と「キヒノヴィッツ」という編み方です。どちらも特に難しいテクニックではありませんが(詳しくは林ことみ著『北欧ニット旅』にて編み方を掲載)、効果的でデザインを引き立てています。

キヒノ島では男性が正装する時にセーターを着るのが習わし。もともとは白と黒の配色だったが、青の染料がもたらされてから、白と紺の配色が多く見られるようになった。
キヒノ島では、手袋の色は基本的には白と紺だが、カフス部分に赤の細いラインが入っており、キヒノヴィッツという技法が使われている。手首は大事な部位なので魔除けの意味で赤が用いられる。

鳥や花の模様が特徴的なムフ島

ムフ島も前編のスカートと刺繍の話に出てきましたが、編み込み手袋は「ムフピンク」や「ムフオレンジ」などの特徴的な色使いだけではなく、作り目が100目を超えているのも特筆すべきことでしょう。さらに鳥や花の模様がしばしば見られることも大きな特徴で、手袋だけではなく、ストッキングやハイソックスにもこれらの模様が編み込まれています。
編み方を見ても、ムフ島特有の作り目や踵(かかと)の編み方、つま先の仕上げ方などがあり、これらは一体誰が考えたのかしら? と思わせます。 また、男性のセーターは、オレンジと焦茶色(もともとは白と焦茶色の羊のナチュラルカラーで編まれたものをオレンジ色で染めている)の編み込みが特徴的です。

ハイソックス編み地の裏面。ハイゲージの編み込みは丈夫で美しい。

カラフルな色を使ったセト地方のレース

エストニアにはロシア正教の教会も多くあり、イコンという聖画が飾られますが、そのイコンに被せる聖布の端につけるカラフルなレースが「セトレース」と呼ばれています。特に変わった編み方ではなく極細毛糸をかぎ針でくさり編み、こま編み、長編みで編み、組み合わせただけですが、白のレース糸とは違いカラフルな色使いなので、かぎ針編みのレースの概念を見事に覆しています。
セト地方、ロシアとの国境近くのヴァルスカという地域にあるセトミュージアムには、たくさんのセトレースのコレクションが残されています。セトレースの特徴の一つに、時代を追うごとに幅が広くなっていることが挙げられます。これは最初はシンプルな模様だったのが次第にいろいろな情報が入り、その情報を加えていくことで段々幅広になっていったからといわれています。中にはアイリッシュ・クロッシェのような立体的なモチーフもあり、これは糸を売りに来る商人から新しい技術がもたらされたとされています。

独特なパターンが見られるルフヌ島

まだ日本ではあまり知られていないルフヌ島では、この島にしかないパターンが見られます。中でも注目されているのは、白に裏編みで模様を浮き出させたセーターや、白い編み地にトラベリングステッチという、一筆書きのような模様と紺色の編み込みが特徴のハーフミトン、そして紺色にインレイという技法で白の模様を編み込んだストッキングなどです。
ハーフミトンは白と紺色の配色と特殊なつくり目が特徴。トラベリングステッチで描く模様と、紺の編み込み模様が随所にちりばめられた何とも手の込んだミトンで、一度見たら忘れられません。

ハーフミトンは、白に裏編みで浮き出た模様や、白地にトラベリングステッチという編み地の模様と紺色の編み込みが特徴的。

アヌ&アヌの動物ニット

「エストニアの伝統ニットパターンを子どもたちに知ってほしい」との願いから生まれたパペットとあみぐるみの本『アヌ&アヌの動物ニット』が、2016年に誠文堂新光社から出版されました。すでにエストニアでは『KIRIKARI』というタイトルで出版されていましたが、日本の読者のために新たに作品を編んでもらい、出版に至りました。
作品となった動物たちのボディは、エストニア各地の伝統パターンで作られていて、動物それぞれの顔形が実物に忠実に、しかも愛らしく編まれています。著者は2人のアヌーさん。アヌー・ラウドさんはエストニアを代表するタペストリー作家で、大学で教鞭を取っていた時にエストニアの手仕事の重要さを訴え、活動を始めました。もう1人のアヌー・コトゥリさんは建築家で、実際に作品を編んだのはコトゥリさん。彼女は今でも依頼されるとワークショップを開いて、この動物ニットを広めています。この本から少しでもエストニアの魅力を感じていただけたら嬉しいです。

アヌ&アヌの動物ニット

著者 アヌ―・ラウド&アヌ―・コトゥリ
監修 林ことみ 
出版社 誠文堂新光社  
価格 1,870円(税込)
発売日 2023/01/10
ページ数 128ページ
判型(サイズ) B5変形判
ISBN 9784416623022

書籍紹介
クラフトの宝庫といわれる「エストニア」。そのエストニアで活躍するアヌー・ラウド、アヌー・コトゥリ、二人が作った動物ニット(編みぐるみやパペット)の作り方を紹介。動物たちは、羊、ウサギ、オオカミ、クマ、キツネ、ブタ、猫、犬…など計32種類。動物達のボディには、エストニア伝統の編み込み柄。本書を監修している林ことみさん自ら、二人のアヌーが住むエストニアに赴き、それぞれの作品の魅力や思い、作る時のアドバイスを教えてもらいました。

PROFILE

林ことみ Kotomi Hayashi

1949年生まれ。高知県出身。
子供の頃から刺繍やニットに親しみ、 子供が生まれたことをきっかけに雑誌で子供服のデザインを発表。2000年からは北欧で開かれるニットシンポジウムに参加し、 北欧のニットを紹介する本を多数出版。

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