望月真理とカンタの世界 vol.1 ~インド・ベンガル地方で生まれた自由な手仕事~
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PROFILE
望月真理 Mari Mochizuki
1926〜2023年。東京生まれ、仙台育ち。東京女子大学卒業後は仙台に戻り、洋裁学校に通う。1949年結婚。夫の仕事の関係で東京に移る。西洋刺繍家のイルゼ・ブラッシ氏に数年師事しヨーロッパ 刺繍を学ぶ。
1978年、旅行で訪れたインドでカンタに出会い、衝撃を受ける。以降、カンタの調査研究のため、インドを10回以上訪問。独学で技法を学ぶ。1990年代、福島県いわき市の築300年の古民家を住居兼工房にし、2 拠点で制作および展覧会を多数開催。
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カンタとの出会いは50歳を過ぎて旅したインドで
望月先生は、若い時から長くヨーロッパ刺繍をされていました。一時は、フランスの刺繍家イルゼ・ブラッシ氏に師事していたことも。それがなぜ、まったく異なるアジアのカンタに触れるようになったかのでしょうか。
50歳を過ぎたある時、テキスタイル関係者主催のインドへの旅に参加するきっかけがありました。好奇心旺盛な望月先生は、「アジアの手仕事も見てみたい」という気持ちだったそうです。お子さんも独立したタイミング。ご主人は「見られるうちにいろいろ見た方がいい」と快く送り出してくれたそうです。
コルカタのインド博物館を訪れたとき、天井近くの高いところに展示されていたカンタ布に釘付けになり、「あれは何?」というのが最初だったそう。「見たことがない布でした。細かく入ったシボ(布を重ねて細かく地縫いすることで生まれる凹凸)を見て、あれはどうやって刺すのかと不思議で」と語ります。アジアの美意識の深さに触れたことが、大きな衝撃だったそうです。
カンタとはどんな手工芸?
そもそもカンタとは、インド西部とバングラデシュにまたがるベンガル地方で生まれた刺し子の布です。古くなった衣装、女性のサリーや男性のドゥティを捨てずに取っておき、何枚か重ね合わせて、刺し子のように刺して補強します。そして再び生活の中で使うものに生まれ変わらせるというもの。赤ちゃんのおくるみ、マット、飾り布。絵柄はつくる人の自由な発想でルールはありません。細かな地縫いが施され、それが「シボ」として、望月先生の目を捉えたのでしょう。
「見たことのない刺繍でびっくりしたの。絵柄はおしゃれじゃないけど、生活感があって素朴。博物館の人に聞いたり、本屋に行ったり、いろいろ調べてみたけど、もうその時にはカンタをやる人はいなくて、先生も本も見つけられなかったわ」。先生は、古いカンタ布を探して資料として買い集め、見様見真似で刺してみたのだそうです。
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そうして、行く先々でカンタについて情報収集しようとしますが、なかなかうまくいきません。「今でいうリサイクルよね。そんなことをする人はいなくなっちゃったってこと」。望月先生は「もう自分でやってみるしかない」と、帰国後は西洋刺繍からカンタに切り替え、研究と作品制作に打ち込むことになります。
老人になっても大丈夫。一生続けられるカンタ
望月先生は、「カンタは歳をとってもできる」と言います。織りや染織の道具は持ち歩けないけれど、布と糸なら持ち歩けるし、どこでも作業ができると。
「カンタは自由なの。お手本を確認したり、刺繍の目を数えたり、そういう必要がないから、歳をとっても関係ないわ」。
実際、望月先生はどこに出かける時にも小さくひとまとめにしたセットを持ち歩いていました。「これがあれば、病院の待ち時間も全然苦にならない」と笑います。ある日、先生はこうおっしゃいました。「おばあちゃんたちにカンタを教えようかしら。みんなもっと元気になると思うわ」。
みんなで集まってしゃべりながら作業するのが楽しい
コロナ禍で教室がお休みの時期も、先生はコツコツ作業を続けて、新作を生み出していました。久しぶりに先生のところに伺うと、第一声、こんな風におっしゃいました。
「ひとりの作業はつまらない。みんなで集まって、しゃべりながらチクチク縫うのが楽しいんだってわかったわ」とほほ笑む先生。「そして、自分の作品自慢をするのよ。それが楽しいわね」。まさか、90歳を過ぎた先生から、そんな言葉を聞くなんて夢にも思っておらず、私は驚きました。同時に、それは手仕事の原点で、おそらく、その心はベンガル地方の女性たちにも通ずることなのかもしれないと思いました。
本を出版してから、初心者に向けたワークショップを開催するようになって、多くの方がアトリエにいらっしゃるようになりました。刺繍がまったく初めての方、手仕事のプロの方、いろんな方が集まり、先生を囲んで和やかに針仕事をする…。そして、少しずつカンタが広まっていく。その光景は本当に美しく、心温まるものがありました。
先生のアトリエにはインド人も少なからず訪れることがあって、先生のコレクションや作品を見て行かれたそうです。インドではもう見られなくなった手仕事。そして「本物のカンタがここにある」という言葉を残した方もいらっしゃったそうです。
望月先生の作品は、言ってしまえば自己流。自分で資料を探し、模索しながら作品をつくり上げてきました。なんといっても先生らしいのは、作品ができるまでは夢中でも、できあがった瞬間から先生の手を離れて、もう次の作品のことを考えているというスタイル。「自分の作品を残そう」という意識はないように見えました。作品というより実用品。実際、先生の毎日の生活の中に、マットやコースターなど多数の自作のカンタが使われていました。それも、ベンガルのカンタの心に繋がるのかもしれません。
望月先生の手仕事は、人々に高く評価され、「カンタをやってみたい」という若い方が増えてきました。先生亡きいま、望月先生の娘さんである麻生恵さんと望月先生のお弟子さんたちが中心となって、再びワークショップが始まっています。
人が集まることが大好きだった望月先生は、こうしてカンタが少しずつ広まることを、空の上からきっと笑顔で見守っていてくださるように思います。
次回は先生が旅で見つけたさまざまなテキスタイルや工芸品を紹介します。
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