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『絞り染め大全』絞り染め作家・安藤宏子さん

誠文堂新光社でも『絞り染め大全』を出版する、絞り染めの第一人者、安藤宏子さん。現在80歳を越えても、全国津々浦々と絞り染め産地を飛び交う現役だ。
photo: Satoru Nakagaki / text: Ayaka Kawai

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大学卒業後、大分へ帰るつもりで途中下車した豊橋で人生の転機

ご家族が大分で一番古い女学校を経営していたという安藤さん。染織の授業がある学校だったため、幼少の頃より自宅で染めたり干したりしている光景を目にしていました。もともと染織がしたいと思っていたわけではありませんでしたが、叔父さまの勧めで染織の授業がある東京の女子大に通うことになりました。

首元のスカーフも絞り染めの作品

当時、大分から東京の大学へ行く女性は一握りだったそう。大学では良い先生に恵まれていたと話します。入学後は染色同好会で多くの工芸染色に挑戦しましたが、絞りは振り袖などでしか見たことがなく、職人でないとできないと思い、敢えてやろうとはしていなかったとのこと。
大学での染色学の講義は染料の化学実験をするなど本格的な内容で、卒業論文のために東京工業大学に通い、後に繊維学会で発表をしたのだそう。
大学を卒業し、家族の経営する学校を手伝うために大分に帰る時のこと。お世話になっていた先生から「東海道線で同じ方向に行くので一緒に行きましょう」と誘われます。
途中の豊橋で先生が「愛知大学に行くので一度降りてみないか」と言うので、興味本位で途中下車してみます。すると、翌日にはその先生の助手になるための面接が決まっており、なんと安藤さんが住む下宿までも用意されていたそう! 大分に帰って学校を手伝おうと思っていたようですが、ご家族に電話をして状況を伝えると「そこで働いてみるのもいいじゃない」と勧められたそう。あれよあれよという間に、豊橋での暮らしを受け入れることになりました。現代では信じがたいエピソードですが、「田舎者だから、どこでもやっていけると思われたのかしらね」と笑いながらお話されていました。

一度は滅びた豊後絞りとの出会い

愛知大学での仕事が始まった22歳のある時、絞り染めの大産地、名古屋市の有松・鳴海絞りへ経済学部の先生方と地場産業の調査に行くことになり、そこで初めて、この地の代表的な絞り技法の豊後という言葉を耳にします。しかし、その頃既に大分県では豊後絞りは滅んでいて、本当に豊後絞りというものがあったのかという事実もわからなかったといいます。その現状を受け、安藤さんの探求心に火が付きます。

江戸時代の歴史をたどる作業のため、文献も少なく、調べてもわからないことばかりで研究を諦めかけていた時、ある浮世絵に「豊後絞り」という文字が描いてある浮世絵に出会いました。「豊後絞りはやっぱりあったんだ!」という確信を持ち、そこから浮世絵の収集を始めると、資料となるものが見つかり始めました。

1600年頃より国産木綿の普及が始まり、徳川家康に献上された豊後木綿・三浦木綿を産出した豊後(大分県)は日本で最初の木綿絞りの産地でした。この事は全国産物誌などに記されていました。豊後絞りは木綿に括られ藍染めした庶民の絞りであり、京都の高級な絹に染められた鹿の子模様に似た仕上がりで、木綿の鹿の子絞りとして多くの人に受け入れられました。
安藤さんが調べていくうちに、江戸時代を経て産物誌や道中記、浮世絵などにも豊後絞りの名を見ることが出来ました。豊後絞りは、1610年に始まった名古屋城築城の時に、豊後の人により名古屋に伝えられたと言われているそう。

古くから伝わる絞りの文化を守りたい

有松鳴海の絞り産地では、絞り染めの作業は分業化されていてすべての工程を一人で行うことはできません。デザインをする人、型紙を彫る人、絞る人 染める人、などたくさんの工程がありますが、分業制のためお互いの仕事内容は知る機会がなく、どこかの工程が抜けると製作がとどこおり、作れなくなってしまいます。

分業制で行う絞りの作業は、誰かが廃業するとその工程の手順がわからなくなり、仕事を円滑に続けることができなくなります。そのため他の工程を担当する職人にも、廃業の影響が及ぶという悪循環が起きてしまいます。日本のこの素晴らしい手仕事を何とか残さなければ、とそんな状況に危機感を覚えた安藤さん。
安藤さんが研究を始める以前、絞りの職人には人に教えるという慣習がありませんでした。他の人に伝えるよりも、素早く作ることが生産性を上げることに繋がるのと考えられていました。40歳になる頃、安藤さんは絞り屋で作業を自由に見ることが許されていたので、しっかりと工程を眼に焼き付け家に帰ってから再現し、翌日にできたものを職人に見せる、そんな毎日を繰り返し約100種類余りの絞り技法をすべて習得することができました。
「本当は作家になりたかったけれど、いろいろなことに興味がありすぎるんです」。生粋の研究者気質である安藤さんには、絞り染めの文化を残していきたいそんな熱い想いがありました。

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PROFILE

安藤宏子 Hiroko Ando

大分市出身。大分上野丘高等学校、実践女子大学卒業。
工房「遊草庵」・教室「遊草会」主宰。醗酵建正藍染めを行い、絞り染め作家として東京、ドイツをはじめ広く各地で個展、企画展、講演会で活躍。絞り染めの調査保存と研究活動を行う。
著書『鳴海絞り』共著(鳴海絞り商工共同組合)『日本の絞り』、『絞り染め入門』染織の美①~20(京都書院)。
『日本の絞り技法』実物布付き限定本、普及版(NHK出版協会)『SHIBORI』(ドイツ・呉フェルト染織美術館)『世界の絞り染め大全』(誠文堂新光社)。

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