『どこにもない編み物研究室 日本の過去・未来編』編み物作家/小説家 横山起也さん
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ポッドキャストINFORMATION
どこ編み研究室 supported by ミグラテール
多様なゲストの面々と刺激的な対談を繰り広げる『どこにもない編み物研究室 日本の過去・未来編』を、このたび音声で配信。
ポッドキャスト名は『どこ編み研究室』と短くしながらも、書籍版が文字数の制限によりすべてを掲載できていないところを、ポッドキャストでは、すべての対談を省くことなく配信し、その全容が明らかになります!
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三代続く手芸一家
横山さんは、お祖母さま、お母さまが編み物講師として活躍され、生まれながらに家が編み物教室だったこともあり、普段の生活の中に編み物が存在する毎日でした。
「編み物をあえて習うこともなく、物心つく前から編み針や編み機に親しんだせいか、自然にできるようになっていたんです」と横山さんは話します。
お祖母さまは和裁や洋裁が得意な人だったようですが、終戦の頃、家庭用編み機を始めようと「萩原式」という当時画期的な手編機を購入。手編機でビジネスを起こそうと、横浜にある自宅まで「萩原式の創始者」萩原政子先生を呼んで講習会を開き教えてもらうほどの熱心さだったとのこと。さらにお母さまも4姉妹の中で1人だけ編み物講師となり、今なお現役で教えていらっしゃいます。
ただ横山さん自身はというと、編み物に親しみながらも、そればかりやるというわけでもなかったようで、「編み物を強く意識したのは?」という問いに記憶を呼び起こしてもらうと、「母の“指編み”やってみない? という誘いだったかな…」と。
編み物の世界では、編み針を使い職人のように技術を高みに上げていくのが1つの主流だったので、指編みが世に出た当初は「お遊び」と言われ、今ほど普及していなかった。お母さまに「子どもに教えるのにすごくよいと思うから試してみて」と頼まれて実際にやってみると、思いも寄らず夢中になり、その時は1カ月くらいの間、すっかり指編みの可能性に惚れ込んで編み続けたとのこと。その指編みも、今は普通に知られる編み方になり、その普及に陰で一役買っていたのではと思うこともあるのだそうです。
人生を変えた出来事
大学院中に、1冊、編み物の書籍(『伝統のニット「てづくりのもの」のなかにある不思議なもの』日本編み物文化協会 刊)を発刊するものの、その後は会社勤めなどをしながら、編み物に対しては相変わらず一定の距離を置いた日々でした。しかしその後、世界観を変えてしまう出来事に遭遇します。2011年の東日本大震災です。
早速、お母さまから被災地で何かできないかと依頼がきて、横山さんは一緒に行き、編み物を教える活動を手伝っていたそうですが、被災当初はボランテイア講師も多かったこともあり、すぐに行く必要がなくなってしまいました。
そのボランティアは定期的に続いていたものの、しばらく音沙汰のなかった期間を経て5年後、お母さまから再び電話がありました。「自分1人になってしまったから困っている。来てくれないか」と。
そして久しぶりに被災地に訪れた時、被災者のリーダーの方に言われた言葉を、横山さんは今も忘れられないそうです。
「被災地では、家族も友達も亡くなっていった人が大勢いる。家を追い出されて元に戻れない人も大勢いる。放射能も無くならない。嫌なことだらけで、その1つ1つが解決しないことばかりだった。当時はなぜそんな時に編み物をしなくてはいけないのか…と思ったこともあったよ。……でもね、今だから言えるのかもしれないけど、横山先生に編み物を教えてもらって本当によかったわ。編み物の時間は嫌なことをいっさい忘れさせてくれる唯一の時間だった。編み物が私たちの心を支えてくれたのよ」
編み物一家に生まれ、編み物とこれだけ近しいところにいながらも、横山さんは、編み物が持つ力を軽視していたことに、はたと気づくのです。編むことで元気になれる。編み物に癒し効果があると頭では理解していたものの、その圧倒的な力を感じずにはいられない衝撃の瞬間だったそうです。
近代社会は課題に対し問題解決することが大事とされてきましたが、解決できない問題が、社会に山積みになっているのが現状。それなら「問題と共にありながらも元気に生きていくための力」を与えてくれる“何か”が必要なのではないか。その何かこそが編み物なのではないのか…と。
この出来事以来、横山さんは、編み物の秘めた力を広く伝えるために、自分が今できることを実直にやっていこうと考えるようになっていきます。
言葉を手芸界に持ち込もう
横山さんの活動は多岐にわたります。たとえばキャンプ用品のメーカー、スノーピークが主催するキャンプイベントに参加し、キャンプ場で編み物をしてみんなで楽しむ活動などもその一環です。
それらの活動をする時、横山さんが特に大切にしているのは「言葉」だそうです。「手芸界に「言葉」を持ち込みたいんです。特に柳田国男の言うところの「ハナシ」の大切さ。ここを大切にしたい」と語気を強めます。
民俗学者、柳田国男の論文に、世間話の重要性を説く「世間話の研究」(1931年)があります。ここでは、自分の言葉で話す世間話を「ハナシ」と呼び、この「ハナシ」こそ、「外」に向け、閉じた世界を開く言葉だと、柳田は言い切っているそうです。よく知らない者同士のコミュニケーションツールとして、お互いのことをわかろうとする「ハナシ」こそが大事なのだと。
横山さんは、この柳田の考え方を今の手芸界になぞらえ、「より多くの人と、知らない人と、手芸をやっていない人と、この「ハナシ」をしなくてはいけない。1970年代、80年代は手芸ブームもあり、多くの人が手芸を楽しんでいた。だから自然に「ハナシ」も生まれたし、一方で言葉を使わなくてもその中では分かり合えた。ビジネスも回った。でも、今はそうじゃない。手芸に興味を持つ人が少なくなってきている今こそ、もっと手芸界も開かれたものにし、陥っているいろいろな状況を解決するために、柳田のいう「ハナシ」による「言葉」を手芸界に持ち込むことが、次のかたちに手芸界を変えていく導入の切り札になるのではないか」と話します。
今やネット時代になり、TwitterやYouTubeなどがコミュニケーションの方法として若い人を中心に日常化しています。これもマスメディアからの情報ではなく、個人の言葉である「ハナシ」の情報だからこそ盛り上がっていると言えるかもしれません。
「経済が揺らいでいる時代にこそ、変えていかなければならないことはあるし、それは1つだけではなく複数あるはずです」
そう横山さんは話しながら、今後の手芸界に必要な変化を3つ挙げてくれました。1つめは「言葉」。2つめは自動的に境界を越えて広がっていくような「コミュニティづくり、場所づくり」。そして3つめは「ジャンル間の壁を取り去る」ことだそうです。このジャンルの壁、たとえば糸紡ぎから編み物までつなげていくとか、「編む」という言葉の意味を拡大解釈して他の分野と比較してみるとか。「言葉」が間を取り持つツールになって、「コミュニティ」が自然にその間をつないでいくシステムになり、「壁を取り去ろうとする力」がそれらを加速させていく。そんな流れを作り出すことができればいいなと横山さんは考えます。
横山さんは実際に、ジャンルの壁という部分で、小説という文芸界に自ら編み物を架け橋にして、すでにその大きな一歩を踏み出しています。横山さんの既存にはない新しい歩みは、これからも続いていくことでしょう。
「言葉」を駆使し、手芸の魅力を広げていこうという横山さんのメッセージは、私たちミグラテール編集部の提案していきたい部分に少なからずも同調しています。横山さんのその姿勢や考え方を参考にしながら、『ミグラテール』自身もさまざまな境界線を越えて羽ばたいていかなければと改めて決意を胸に、取材を終えたのでした。
※『どこにもない編み物研究室 日本の過去・未来編』は誌面の限界もあり、すべての対談内容を掲載できていません。対談は順次、Spotifyのポッドキャスト『どこ編み研究室』で聞くことができます。詳しくは以下をご確認ください。 ミグラテールポッドキャスト『どこ編み研究室』
左上より、①横山さん三世代が使用した技術バイブル本『手芸テキスト レースコース』(日本ヴォーグ社/1965年刊)と②『手芸テキスト 手あみコース』(日本ヴォーグ社/1965年刊)、③簡単なものから難易度が高いものまで膨大な作り目を紹介した『棒針の作り目と止め 211種類のバリエーション』(キャサリン・シーズ著/グラフィック社/2015年刊)、④編み図記号につながる記号を提案した作家の人物伝『江藤春代の編物普及活動』(北川ケイ著/東京図書出版/2021年刊)、⑤絶滅危惧種から社会問題を編み物と絡めて世に問いている『HOPE』(光恵著/和光出版/2022年刊)、⑥羊に関する羊毛、油、皮、ミルク、肉、社会問題…まで何でも載っている『羊の本』(本出ますみ編著/スピナッツ出版/2018年刊)、⑦手芸とは何か?を歴史から説いた『手仕事の帝国日本−民芸・手芸・農民美術の時代』(池田忍著/岩波書店/2019年刊)、⑧編み物好きにはたまらない編み物の旅行記『紀行・アラン島のセーター』(伊藤ユキ子/晶文社/1993年刊)、⑨今、家事というものを振り返る格好の映画を紹介した『「(主婦)の学校」AFTER BOOK』(kinologue books/2022年刊)、⑩各々の四方山話が面白い草木染めの事典『鎌倉染色彩時記』(たなか牧子著/オフィスエム/2015年刊)、⑪今風のハンドクラフトの源流といえる『カラーブックス 手づくりの贈り物』(河原淳・河原フミコ共著/保育社/1976年刊)
上から『異人論−民俗社会の心性』(小松和彦著/筑摩書房/1995年刊)、『文庫版 姑獲鳥の夏』(京極夏彦著/講談社/1998年刊)、『虐殺器官[新版]』(伊藤計劃著/早川書房/2014年刊)、『長篇叙事詩 地獄篇 普及版』(寺山修司著/思潮社/1983年刊)、『Jacques-Henri-Lartigue』(Jacques-Henri-Lartigue/Thames and Hudson/1989年刊)、『出発点1979〜1996』(宮崎駿著/徳間書店/1996年刊)、『江戸の異性装者たち』(長島淳子著/勉誠出版/2017年刊)、『バレエ・メカニック』(津原泰水著/早川書房/2009年刊)、『[新版]アメリカ大都市の死と生』(ジェイン・ジェウジブズ著/鹿島出版会/2010年刊)、『江戸の身体を開く』(タイモン・スクリーチ著/作品社/1997年刊)
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INFORMATION
横山起也 Tatsuya Yokoyama
編み物作家、小説家、NPO法人 LIFE KNIT 代表、チューリップ株式会社 顧問、株式会社日本ヴォーグ社「編み物チャンネル」顧問/ナビゲーター。大学院在学中に『伝統のニット「てづくりのもの」のなかにある不思議なもの』(日本編物文化協会)を執筆。編み図なしで自由に編む「スキニ編ム」を提唱。仏ファッションブランド「Chloé」など、業界外企業の主催イベントでワークショップ講師も多数つとめる。「HUFFPOST」などWEBメディアでコラムを執筆。2021年、誠文堂新光社より『どこにもない編み物研究室』『どこにもない編み物研究室 日本の過去・未来編』を発刊。2022年、角川文庫より小説『編み物ざむらい』を上梓し、好評を得て続刊執筆中。